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スカリーからステラへ:The Fallとジリアン・アンダーソンの日の出 その2

カテゴリー: GA

その1はこちら

From Scully to Stella: The Fall and rise of Gillian Anderson
The Telegraph

Jessamy Calkin
16 SEPTEMBER 2016 8:28AM


※黒く塗りつぶしている箇所はネタバレ部分です


暴力への一つの探求

The Fallは視聴者、批評家ともに熱狂的に受け入れられたが、議論を引き起こした側面もあった。
特にポール・スペクターが死体を洗ってポーズを取らせている愛情あふれるシーンがやや多かった最初の数話がそうだ。
アラン・キュビットとアンダーソンは、暴力を理想化しているという非難から、固く作品を守り通した。

「暴力への一つの探求だよ。だけど、特に女性に対する男性の暴力なんだ」と、後にアラン・キュビットが電話で語った。

「だけど、作品は可能な限り女性キャラクター達に力を与える事を常に目標としたんだ。そしてそれには被害者も含まれている――Sarah Kayが被害者になる前に、僕は彼女のキャラクター像をできるだけ確立させたよ。彼女の家族の悲しみや、ステラ・ギブソンの「女性は名も無き被害者にはならない」と言った主張を通して、Sarahのキャラクターを裏付けもした」

GA:「アランの意図は、いかに女性が描かれるかという点で、使われる事も、明確にされる事も決して無かったものなの」とアンダーソンは言う。

GA:「アランはそれを良しとはしていないし、リアリティさを踏まえているから。アランは連続殺人犯とその心理学に関する調査を多く行ったわ。私たちは、女性への暴力にまつわる、重大で深刻な悲劇に目を向けているの。

誕生があり、死がある。愛があり、病がある。彼は視聴者に、自分たちの倫理観に疑問を持たせたのよ」



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The Fallで警視ステラ・ギブソンを演じるジリアン・アンダーソン CREDIT: ARTISTS STUDIO/BBC NORTHERN IRELAND

(中略)


自分自身の中にそういう性質、ある種の無謀さがあると認識していますか?アンダーソンはしばし考える。

GA:「ええ、私は普通、安全、寡黙、厳格、真面目、道徳的かつ倫理的に動く、これらを混ぜ合わせたものね。――もしくは少なくとも、ほとんどの場合そうなろうとしているわ」

問題を抱えた気性

GA:「それに時々、――もしかしたら時々以上だけど――信じられないくらい無謀な自分がいるの。
ずっと水面下で泡だっているんだと思う。だけど、母親として、給料を稼いでいて、責任ある働く女性として、私はおそらくいい加減な事もたくさん乗り越えてるわ。大体の場合ね」


私は興味をそそられる。あなたが若かった頃にお持ちだった向こう見ずな本能はまだ持っているけれども、別の道を行こうと選ぶんですか?
GA:「イエスね。多分そう」
若かった時、Wild(あらっぽい、突飛な、羽目をはずす)だったんでしょうか?
GA:「んんんん……」と言って彼女はうなずく。

そう、アンダーソンはワイルドだった。ドラッグ――たくさん――、お酒、ピアスや大胆な髪型と言った形式的な反抗――彼女は14歳にしてセラピーを受けた。
アンダーソンはシカゴで生まれ、2歳の時にロンドンへ引っ越した。

GA:「Clapham Common(ロンドンにある地名)に住み始めたの。しばらく他人の家に住み込んで、アパートをシェアして、Crouch End、それからHarringayで住む場所を見つけたの」

ジリアンの母親はコンピュータープログラマーで父親はコヴェント・ガーデンにある映画撮影の学校で勤務しており、それから人形使いだった友人と昔ながらのカメラを売る小さな店を開業。
それから一家はミシガン州のグランドラピッズへ移り、父親はそこで映画編集の企業を立ち上げた。


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全ての年代の女性にインスピレーションを与えたスカリーを演じたアンダーソンは、困難な状況でも落ち着いていられる人物だ、


アンダーソンは3兄弟の長女(13歳差)だ。1986年、シカゴのDePaul大学演劇学校の入学を勝ち取った。

GA:「パパのフォルクスワーゲンバスを運転してシカゴまで行ってる途中で故障しちゃった。街のすごく安い地域に住んでたわ」

アンダーソンは卒業すると、配役担当責任者やエージェントを求めてオーディションを受けにNYへ行った。
GA:「オーディションに向けて一人芝居のセリフを自分で書いて、服を何枚か借りたわね。William Morris(※William Morris Agency - Wikipedia)の人が、私がNYに移ったら公式な代理人になるって言ってくれて。だから行ったの。カウチで寝起きしながら、永遠に何の役もゲットできないって感じるようなオーディションを受けたわ」

アンダーソンの大きなチャンスはAlan Ayckbournの「Absent Friends」で、これで1991年に最高新人賞を受賞した。
彼女はボーイフレンドに会いにLAへ行き、そこに滞在することに決めて帰りのチケットを売ってしまった。

その3へ続く!
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