FC2ブログ
tweetツイートする

スポンサーサイト

カテゴリー: スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-- -- | トラックバック(-) | コメント(-)
tweetツイートする

Enough is Enough is Enough(和訳)

カテゴリー: GA

もうたくさん×3
Posted at 7:55 AM (PDT) on Monday, August 13, 2012

Enough is Enough is Enough

 今年のはじめ、映画の宣伝のために Out Magazineのインタビューを受けたの。
インタビューの最中、インタビュアーさんの事がだんだん気に入りだして、私達はとても心地良い仲間意識を覚えたのね。

 彼はlovely(((主に英略式))愉快な,楽しい,とても気持ちのよい)で、親切で、他者の人生経験に真摯に興味を持っている聡明な人のように見えたのよ。
 幸運にもそれは正確な人物評価だった。向こう見ずではあったんだけど。
 そのインタビューの間に、私はある事実について話すことを決めたの。昔、ある女性と関係を持っていたって事をね。
 公共の紙面でこの話を打ち明けるのは初めての事だった。そうしようと決めたのは理由が2つあったの。
 ひとつは、私と関係を持ったその女性が数ヶ月前に亡くなって、インタビュー中の会話の状況を見ても、その話を持ちだしても問題無いし、妥当だと感じたから。
 何年も前、私達の関係が終わって随分経っていたんだけど、出し抜けに彼女から私に電話があったの。私のテレビでの名声の高さから、私達二人の写真を6万ドルで提供して欲しいとタブロイド紙から依頼を受けたって。
 当時は色々あって、羞恥心はなかったけれど、私はその事を公開したくなかったの。だから、彼女が家賃の支払に苦労していた事実にもかかわらず、私達の昔話を売らないでって彼女に頼んだ。
 彼女は、当時私が正しいと思っていた決断を選んだわ。
 今日に至るまで、彼女にそう頼んだことを後悔してる。
 あの6万ドルは私へのネガティブな影響よりも、彼女の生活によほど大きなプラスをもたらしたはずだもの。

 Out Magazineと私達の関係を話している時、彼女の思い出を存在していたのだと認めることによって、名誉の様に感じていたわ。
 インタビュー中のやり取りの文脈は”選択”で、私は同性愛者として自分自身を識別している人々とは違って、私は経験から時々その現実化に伴う恐怖や羞恥心まで話すことができなかった。だって私は同性愛者ではないってハッキリしてたから。
 インタビューの間に、彼女が最近亡くなったという事実を明らかにしたとは思わない。だけどその後にあった別の雑誌とのインタビューで、どうして突然、個人的な人生のこの部分について話すことに決めたのか聞かれた時、主な理由としてそう答えたんだけど、気持ちを切り替えたかったからなの。私の人生について語る時の、新しい話題にしたくなかったから。

「高校時代に”最も逮捕されそうな人間”に選ばれた」とか、元パートナーのマークが駐禁で一儲けしたとか厄介なくらい意味不明で理解できないような退屈な事実を、レポーター達の割合によって何を話題にするか決めるのはもうたくさんだった。

 だけどどういうわけか、彼のことは「インタビュアー2号」って呼ぶけど、私の過去の一面を打ち明けることにした正当で率直な理由を記事にする代わりに、皮肉にも正確な感想を使おうと決めたのよ。
 ユーモアか見当違いの不一致の点で、Out Magazineの記者の方が彼よりも好きだわ。どっちか言うのは難しいけど。
 そして、London Sunday Timesとのインタビュー後にその記事を見た時の私の狼狽/恐怖/嫌悪感を想像してみて。「インタビュアー3号」は私の短い返答をyesに変えたのよ。 同じ質問も、全ての記事を真のタブロイド・ジャーナリズムの見本となるレズビアンにするための動機として使ってね。

 自分のsexuality (性的特質、性的興味。性を意識させることやもの)を表現する時に"fluid"(流体,流動体(液体・気体など);体液)なんて言葉は人生で使った覚えがない。 7週間以上ある家族の休日のうち、女性の友達と4日間過ごすのがお気に入りだと挙げるのも、馬鹿げたことだったりワガママだったりするのかしら。
 私は自分の死体の上に書く自分自身を表す言葉として、”不動産のしたたかなややり手であった”とさえ書く必要があるのかしら?
 
 まだまだ話せばキリがないわ。
 私の心をヘコませるのが、コピペされていくつまらない記事が誠実なジャーナリズムであると考えられてしまうこと、それが共同編集者だけではなく、自分自身を女性の中のチャンピオンだと空想してる人間によって、もしくはその逆であるべきかしら。
 この記事は、どうして広報係が複製の承認を求めるのか――自分達の嘘を覆い隠すためではなく、ジャーナリストによって煽り立てられた嘘と当てつけを引用するためよ――の完璧な見本だわ。

 こんなに意地悪な私”について”のインタビューを読んだことがあるかどうか定かじゃないけど、幸運にも驚くべきことに、記事の主題について書かれたどんな内容よりもインタビュアー3号の意地悪さが暴露されているわ。
 だけど脱線するわね。
 ちょっとだけ。
 
 同じように想像してみて、今だけフレンドリーになろうと装ってるこの女性に、マークと私がしばらく前に別れていたという記事を書く方法を見つけようと考えるかどうか、私は実際に彼女に尋ねてみようか検討してたの。
 振り返って見ると、幸運にも私はそうしなかった。
 そしてどういうわけか、私がパートナーと一緒にいるかどうか彼女が質問してきた時、私は当然のごとくぶっ飛んじゃった。
 私、仄めかすようなことを言ったかしら?
 知らず知らずのうちに声に出しちゃってたのかしら?
 私の広報担当が何か言ったのかしら?
 インタビュアー3号はこの混乱ぶりを全て如才無く拾い上げたの。
 このしどろもどろ具合は、この記事の中で唯一正確な部分だったかもと言わざるをえないわ。
 ブラボー。
 
 ※The Sunday Times Magazine のこの記事↓
 I ask if she has a partner at the moment. Her answer is peculiar. “Um…yes…umm…umm…” There is a long pause. “Say yes,” she stutters finally.
 私はジリアンに現在パートナーがいるかどうか尋ねてみました。その返答は奇妙なものだったのです。
 「Um…yes…umm…umm…」
 長い沈黙。「yesと言うわ」と、彼女は最終的にどもってました。

 記事リンクはこちら

 けどこの投稿は、見せかけの権力に位置する恐ろしい人々について私の意見を明らかにする事を目的としたものじゃないの。
 一度だけ分かち合う、一度だけよ、あるintention(決意、心がまえ、態度、心づもり)に光を当てるためなの。
 非常に厳格と見られている3人の子供がいる中年女性も、オープンになれるという事、人生と恋愛経験について恥ずかしく思うことはない事、大丈夫だという事実にね。

 だけど、私がこの事から学んだのは、そういう事ではないのかも。
 他人のサイフォンを通して、公正でいられることは不可能だということ。
 これも悪用されるし、悪い意味に誤解されるし、私ってバカ。
 
 Gillian
スポンサーサイト
Tue 2012 | trackback(0) | コメント(-)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。